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大網(おあみ)の年末年始から小正月はやることいっぱいで、とっても忙しい!
こんにちは。協力隊の宮下です。
年末年始があっという間に過ぎ去って、気づけばもう新年最初のひと月もおしまい…。
日々が過ぎるのはあっというまで、追いつくのにあわあわします。
さて、そんな慌ただしい1月でしたが、大網地区は年末年始から始まって小正月にかけて続けられてきた慣わしがあります。
今回は、その一部始終を駆け足でご紹介します。
まず、年末の12/28には大網の多くの家が正月用の餅をつき、新しいお札をはりかえる。
29日は「苦餅(くもち)」になるといって、基本的には掃除の日。
そして12/30あたりに「やすのこき(または、やすのこけ)」をつくる。
3年前から秋に採った稲藁を持ち寄って、地区のおじちゃん「誠さん」を先生に若い衆でつくり続けています。
この、やすのこきは作り方はとても簡単だけど結構力がいるもので、3年目にしてやっとそれなりのものができるようになってきました。
これは、年始に神様に捧げるごはんとおかずをいれる入れ物で、12/15に迎えてきたお松様に結んで大黒柱にくくりつけ、正月三が日はその中へごはんとおかずをいれ、神棚にお明し(ローソク)を灯して歳神様へのお供えとします。
神棚にはしめ縄ではなく細い縄をなって、そこに七・五•三の藁と懸垂を差し込んだものをはりまわし、結界をつくる。
そして大晦日の二年参りには、大網の神社へローソクと一口大に切った餅をもってお参りにいく人、朝になってからお参りに行く人など、それぞれに初詣をする。
1/7になると、今度は「松おさめ」。正月に飾っておいたお松さまや正月飾りをひとつにまとめ、1/15のお松笑いまで置いておく。
この時、外に出すとやすのこきにごはんやおかずが入っているので獣が寄ってきやすいので要注意!
また、この日は七草粥を食べる日ですが大網の場合は、芹・青菜・人参・昆布・ごぼう・豆腐・ほか何か一品を加えて七草の雑煮を食べるのですが、このあたりにも雪が深すぎて七草なんてとれないよ!という大網ならではの気風がうかがえます。
そして1/11は「若木迎え(わかぎむかえ)」。
新しい年を迎えて、最初に山から木をいただいてきて物づくり「道祖神」「高男」「クンチョ」をつくる。
大網では50年近く途絶えていましたが、3年前からおじちゃんに無理をきいてもらい復活してもらいました。
「道祖神」はクルミの木を削って顔と、その年の年号と道祖神と書く。
顔は特に決まった顔がないので作った人が自由に書き込むが不思議とその人らしさがでるのが面白いところ。
一家に1つ作ってお松笑いに行く際に持っていきお地蔵さんのところへ置いてくる。
そもそも道祖神は、集落の出入り口に置くもので、集落内に悪い物(鬼や魔物、病気など)が入ってこないように祈るものですが、大網の場合は一年の無病息災などをお願いするものでもあるようです。
「クンチョ」も同じくクルミの木でつくる。
直径15〜20㎝くらいの丸太を縦に割って、1㎝くらいの厚さの板をつくる。
その板の1/3下部あたりを斜めに切り落としてから、上部に切り込み(中心よりずらす)を入れてそこにガヤ(榧)の枝を挿し込む。
表面に「十三月(閏年は十二月)」、裏面に「正月吉日」と書いて完成。
これを玄関や廊下、窓の隙間などに挟んでおくと、外から来た悪いもの(大網では鬼という)が「あれ?今は1月のはずなのに13月とはおかしいな?」と思って、家の中に入ってこないようにする結界となるそう。
十二、十三と書くことで外からくるものを弾くと同時に、自分の家を異界化する役目もあるという、すごく不思議な風習。
ガヤの枝を挿すのは、チクチクするので鬼などの目に刺さるという節分の柊と同じ役割をする。
小谷村では他の地域でも同じ風習があったようで中谷では、そのまま「十三月」とよばれていたそう。
ちなみに中谷には十三月という名前の素敵なカフェがあるので、ぜひそちらにも足をおはこびください!
「高男」も同じくクルミの木の直径15㎝、長さ1mくらいの枝を削って木花をつくる。
そのままそれを繰り返していき、なからになったら、剥いた面の一番下に「高男」と書いて完成。
高男は物干し竿のような長い棒の先端に括り付けて、家の周辺に棒ごと括り付けておく。
そうすると、一月の晦日の日に子ども達が集団になって集めに来て、その数を競うものだったそう。
そのため、大人達はなかなか子どもが取れないような場所に高男を括ったそうです。
正月の数少ない子どものための遊びだったとか。
そして1/14には「まゆだまづくり」。
1/11の若木迎えで迎えてきたミズキの木(なるべく木肌が赤いアカミズキがいい。これの方がよくしなる)の、枝の先端(芽の部分)を切り落としておく。
米粉とお湯を混ぜてよく揉み、まゆ玉と丸の形をした団子をつくる。
色は白、赤、黄、緑などなど好きな色を。団子は蒸してからミズキの枝に刺して、家の大黒柱に括り付けておく。
1/15のお松笑いには、そのうちのひと枝を持っていきお地蔵様に備える。
その時に別の家のまゆ玉と交換し、御供(ゴクウ)として家に持ち帰り焼いて食べ、無病息災を祈る。
昔は蚕を飼っていたので、その蚕の成長を祈ったのと農作物の豊作を祈願するために行った行事だそうですが、大網は蚕を飼っている家は少なかったため、丸型の団子が多いです。
また、「晦日(みそか)の紙」と呼ばれる、稲穂と縁起物の絵を書いた紙も昔は一緒に飾ったそうで、これは一月の晦日の日にやはり子ども達が家々を回って集めたものだそう。
さらに、大網の各家には牛の版木があって、それを刷って飾ったともいい、今年は大網で唯一保存しているお宅から借り受けて復活させてみました。
牛は家畜ではなく、大事な家族であり、米をつくるための大事な仲間でもあったことから、この風習ができたのでは?と考えています。
そしていよいよ1/15は小正月であり、「お松笑い」の日。いわゆるどんど焼きです。
朝起きてから前日煮ておいた小豆でお汁粉をつくって神棚へ供える。
午後になって時間近くになると家々からおじちゃんおばちゃん、若い衆が手に手に松飾りやだるまや古いお札、まゆ玉を持って集まってくる。
会場に着いたら、まずはお地蔵様へお参りし、持って来たまゆ玉の枝を刺して、代わりに誰かがつくったまゆ玉をもらって帰って御供にする。
道祖神を供え、お明しをたててお地蔵様に祈る。
今年は頭の上まですっぽり埋まっていたけれど微笑んでいるようないい顔をされていた。だいたい人数が揃ったら点火。
小さいながらも今年はきれいによく燃えた。
子ども達の書き初めがよくあがり、青空に映えてくるくると美しい。
歳神さまもこの火にのって無事に帰られたかしら…。
今年は厄年が2人いるので厄払いのための年の数だけの銭撒きも行われ、きゃあきゃあ言ってみんなで拾う。
でも、この銭はその日のうちに使わないとその人の厄をもらってしまうのだとか。
火がある程度おさまってきたら、今度はその中から燃えさしの小枝を拾って、みんなで眉毛を3回書き合う。
こうすると目がよくなるといい、その小枝を家に持ち帰り屋根の上に投げると、一年間家を守ってくれるそう。
投げてはみたけれど我が家の屋根には届かなかったけど大丈夫かな…。
そして1/18は「めえだまかき」。
大黒柱に飾っておいたまゆ玉飾りを片付け、残ったまゆだまを15日のお汁粉の残りで煮て食べる日。
今年はちょっと赤がきつかったのでお汁粉にするとどぎつくなってしまったのは反省点。また来年の課題です。
これで1/31の「晦日正月」を迎えて、やっと大網のお正月は祝い納め、終了となります。
年末から始まって、まあほんとにいろいろとやることがたくさんあること!とはいえ、今年もお松迎えから始まって、やすのこき、ものづくり、まゆだま、クンチョ、高男、道祖神も無事につくることができ我が家を見守ってもらうことができて一安心。
この慣わしのほとんどが協力隊として大網にやってきた3年前の冬に、おじちゃん・おばちゃん達に協力してもらって復活させたもの。
始めたからには、ささやかだけれど続けていきたいことのひとつです。
毎回違う形になるけれど、その年ごとの発見もあり、こうしたものを作り続けていくことで少しづつ、この土地の人の暮らしや想いに近づいていくような気がしています。
私は、この春からは協力隊の任期が終わり、正式に大網の住人になるのですが、来年4回目のお松笑いには、どんなことを想っているのか、今からちょっと楽しみです。
関連リンク
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◉むらのしるべ
大網の若い衆を中心に、大網での暮らしや生活、伝統の技を残して伝えていく取り組みをしています。「よみもの」では季刊誌も読んでいただけます。6号では、今回の正月行事について詳しく記録しています。
◉山のふところ
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私、宮下が大網・姫川温泉での、山や人や獣との日々の暮らしを発信しています。